2015年12月08日
グローバル人材になりたい日本人に必要なもの
少し古いニュースですが、東京都が、小中高一貫校を新設するとか。
で、グローバル人材育成のため、英語教育に力を入れるんだってさ。
私いつも思うんだけど、日本人は英語が喋れないから非グローバルなわけじゃないわよね。私、日本人が国際化したいなら英語よりもディベートを訓練するべきだって思うのよ。
我々の文化では、対立を極力避けるからよほどじゃない限り、対話してて発言を否定されることがないじゃない。なんか自分の方が立場上だからとか思ってるヤツに、頭ごなしに否定されることなんかはあるけど。
だからさ、「あなたの発言に同意できません」なんて面と向かって言われると、全人格否定されたくらいにビックリするじゃない。発言のごく一部を否定されただけでもナイーヴに傷ついてたりするよ。しない?
例えばね、「私さー、おにぎりの具は梅干しが一番好きなんだー」「私もー。基本だよねー」なんて話をぬるーい雰囲気でしてる時にさ、「私は梅干し嫌いです」なんて言う人がいたら、内心、「は?空気読めよ」って思っちゃう。別に人の好みはそれぞれだし、それを表明して何の問題も無いし、私は梅干しの何者でもないし、ディスられたのは梅干しであって私ではないのになんか、「梅干しが好きな私」を否定された、くらいに感じてしまうんだよね。
まあ話が梅干しなんで、この例で激昂する人はいないと思うけど、話題が歴史、政治、ジェンダー、セックス、家族、宗教なんかだと、自説に否定的な発言に対して、「反射的に」「むきになって」「論旨の通らないことを」「大声で」まくしたてる系のむちゃくちゃな反論を繰り出して来る人いるよ。反論というか、既に「反撃」って感じで。自分の意見に対する異議申し立てを、あたかも自分の人格に対する攻撃のように受け取っちゃう人いるのよ。しかも、けっこうな数で。
いやだ、ディベートどころか、そもそもダイアローグが成立してないわ?異論や反論を受け付けない会話って、そこに人が居るだけの独り言じゃないの。それか、そこに居合わせた人びとを強制参加させてるマスターベーションよね。
我々は誰かと会話するとき、返答の内容をある程度予測しながら話している。相手を傷つけたり、失礼を働いたりせず会話するためだ。それはいいとして、予測と異なる反応が返って来たとき、ちゃんとそれらの言葉を聴いているだろうか?予測と異なる言葉たちの意味を、理解しようと努めているだろうか?「自分を否定された」と、反射的に身構えたりしていないだろうか?
モノローグではないダイアローグは、自分ではない誰かと交わすもの。自分ではない誰かが、自分と全く同じなはずはない。自分と自分ではない誰かとの間の違いが言葉によって明らかになったときに、たじろいでしまう人びとが、英語だけ習って何になるというのだろう。英語よりもむしろ、ダイアローグの訓練からした方がいいよ。ディベート以前の問題だったわ。当然、英語云々のはるか以前よ。
「日本人同士の会話が、一見ダイアローグに見えるモノローグを発しているだけ」問題の根源は、「日本人の生活には生身の人間がおらず、『型』とそれに従った『役割』があるだけ問題」にあると私は思う。それこそが「ムラ人道」の神髄なんだけど、眠いから私もう寝るわ。
また今度考えるわね。
で、グローバル人材育成のため、英語教育に力を入れるんだってさ。
私いつも思うんだけど、日本人は英語が喋れないから非グローバルなわけじゃないわよね。私、日本人が国際化したいなら英語よりもディベートを訓練するべきだって思うのよ。
我々の文化では、対立を極力避けるからよほどじゃない限り、対話してて発言を否定されることがないじゃない。なんか自分の方が立場上だからとか思ってるヤツに、頭ごなしに否定されることなんかはあるけど。
だからさ、「あなたの発言に同意できません」なんて面と向かって言われると、全人格否定されたくらいにビックリするじゃない。発言のごく一部を否定されただけでもナイーヴに傷ついてたりするよ。しない?
例えばね、「私さー、おにぎりの具は梅干しが一番好きなんだー」「私もー。基本だよねー」なんて話をぬるーい雰囲気でしてる時にさ、「私は梅干し嫌いです」なんて言う人がいたら、内心、「は?空気読めよ」って思っちゃう。別に人の好みはそれぞれだし、それを表明して何の問題も無いし、私は梅干しの何者でもないし、ディスられたのは梅干しであって私ではないのになんか、「梅干しが好きな私」を否定された、くらいに感じてしまうんだよね。
まあ話が梅干しなんで、この例で激昂する人はいないと思うけど、話題が歴史、政治、ジェンダー、セックス、家族、宗教なんかだと、自説に否定的な発言に対して、「反射的に」「むきになって」「論旨の通らないことを」「大声で」まくしたてる系のむちゃくちゃな反論を繰り出して来る人いるよ。反論というか、既に「反撃」って感じで。自分の意見に対する異議申し立てを、あたかも自分の人格に対する攻撃のように受け取っちゃう人いるのよ。しかも、けっこうな数で。
いやだ、ディベートどころか、そもそもダイアローグが成立してないわ?異論や反論を受け付けない会話って、そこに人が居るだけの独り言じゃないの。それか、そこに居合わせた人びとを強制参加させてるマスターベーションよね。
我々は誰かと会話するとき、返答の内容をある程度予測しながら話している。相手を傷つけたり、失礼を働いたりせず会話するためだ。それはいいとして、予測と異なる反応が返って来たとき、ちゃんとそれらの言葉を聴いているだろうか?予測と異なる言葉たちの意味を、理解しようと努めているだろうか?「自分を否定された」と、反射的に身構えたりしていないだろうか?
モノローグではないダイアローグは、自分ではない誰かと交わすもの。自分ではない誰かが、自分と全く同じなはずはない。自分と自分ではない誰かとの間の違いが言葉によって明らかになったときに、たじろいでしまう人びとが、英語だけ習って何になるというのだろう。英語よりもむしろ、ダイアローグの訓練からした方がいいよ。ディベート以前の問題だったわ。当然、英語云々のはるか以前よ。
「日本人同士の会話が、一見ダイアローグに見えるモノローグを発しているだけ」問題の根源は、「日本人の生活には生身の人間がおらず、『型』とそれに従った『役割』があるだけ問題」にあると私は思う。それこそが「ムラ人道」の神髄なんだけど、眠いから私もう寝るわ。
また今度考えるわね。
Posted by 近江ヴェロニカ at 21:48│Comments(0)
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